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京都地方裁判所 昭和59年(行ウ)18号 判決

原告 西川榮一 外一九名

被告 京都市長

主文

本件訴えを却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一申立

一  原告ら

1  (本位的請求)

被告が市道路線岩倉一号線(起点 京都市左京区岩倉東五田町二四番地地先、終点 同区松ケ崎北裏町二九番地地先、延長四四二・〇〇メートル、幅員三・三〇メートル~四・五五メートル)につき、昭和五九年五月七日京都市告示第三〇号をもつてした市道路線廃止処分、及び同日京都市告示第三一号をもつてした市道供用廃止処分は、それぞれ無効であることを確認する。

2  (予備的請求)

右市道路線廃止処分、及び市道供用廃止処分を取消す。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

1  (本案前の答弁)

本件訴えを却下する。

2  (本案の答弁)

原告らの請求を棄却する。

3  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二主張

一  原告らの請求原因

1  前記第一の一1記載の市道(以下、本件市道という)はもと宝ケ池公園内に存する市道であつたが、被告は前記のとおり、これにつき路線廃止処分及び供用廃止処分をした。

2  本件市道は、宝ケ池公園用地内に位置し、無舗装のままで、自然を生かした地道である。このような本件市道の機能・用途は、安全な生活道路としての機能を有しているだけでなく、昭和三九年に宝ケ池公園の供用が開始されてからは、自然の散策路、宝ケ池への安全な連絡路、ジヨギングなどのスポーツの場、子供らとのリクレーシヨンの場、自然との触れ合いの場、家族や友人との語らいの場などの多面的で重要な機能・用途を有している。

特に、本件市道は、昭和五一年三月に、財団法人日本宝くじ協会が、沿線に数多くの椿を植え、椿を見ながら歩ける散歩道として整備して、その整備施設を京都市に寄贈した道である。それにより、本件市道は「椿の道」と命名されたが、沿線には、数多くの椿が植えられ、ベンチやテーブルなども設置され、前述の多面的で重要な機能・用途はさらに強化された。

京都市も、本件市道「椿の道」を緑のある散歩道、世界一の椿の道などとして「市民しんぶん」「市政要覧」「市民のグラフきようと」などで広く市民に宣伝し、その利用を呼びかけていた。

原告らは、別紙第一地図記載の場所に居住し、次記のとおり、本件市道を、宝ケ池公園の中心部への連絡路として、また、緑を楽しむ歩行の場、家族や友人とのコミユニケーシヨンの場、緑にふれる安全な子供の遊び場として、特に頻繁に日常的に利用してきた。宝ケ池公園は、岩倉地域では、唯一の都市公園であり、本件市道の周辺に居住する原告らは、最も近くにある、歩いてすぐ行ける都市公園として宝ケ池公園を利用し、かつ、宝ケ池公園内の園路として位置づけられ、また、緑の散歩道として供用されてきた本件市道を利用してきた。このように、原告らは、一般公衆以上に、特別に本件市道を交通上の手段として、また、歩行の場、憩いの場、コミユニケーシヨンの場、子供の遊び場として利用してきた日常的利用者である。

従つて、原告らは、本件市道について日常的利用者として法律上保護された利益を有するものであり、本件訴訟について原告適格を有する。

(一) 原告馬原郁は、昭和四九年三月、静かな環境を求めて一乗寺庵野町から現住所地へ転居し、以降家族ぐるみで本件市道の利用を継続してきた他保母としての園外保育にとつても、本件市道の利用は必要不可欠であつた。同原告が本件市道の存在を知つたのは、京都市が「市民しんぶん」等で自然に囲まれた散歩道としての本件市道を大々的に公報したことによるものであり、同原告は昭和五一年ころより、当時一〇歳前後であつた三人の娘と共に春夏の休みの際には毎日のように本件市道に出掛けクローバー摘み、枯枝集め等々、貴重な自然と親しんできた。本件市道の山と山の間の草原には、休息用のベンチも設けられ、草原では野草摘み、昆虫採集の他、バレーボールやバドミントンをして楽しんだ。三人の娘が成長して後も、山育ちの同原告は、よもぎ摘みなどのために頻繁に本件市道を利用している他、昭和五八年からは、ジヨギングを始めた夫について、本件市道をジヨギングコースとしても利用している。同原告の勤務していた村松保育所においては、未舗装の自然の道路を歩かせることが、「土ふまず」を初め、子供の身体的発達に不可欠であるところから、園外保育を重視し、宝ケ池方面への園外保育には、必ず本件市道が利用されてきた。

(二) 原告倉橋正一は、自然に恵まれた環境を求めて昭和五三年一〇月に北区大将軍から現在の住所に引越して来て以来、椿の道とこれに隣接した草原、小高い山、雑木林等を家族とともに、もつぱら親子の語らいと遊びの場、子どもの楽園への遊歩道として利用してきた。その利用回数は、同原告の子どもらは殆ど毎日、同人自身も週に一、二回という頻度であり、同原告の言葉をかりれば、まさに「我が家の庭」としてこれに親しんできたのである。

(三) 原告岡本哲郎の家族は、夫婦と子供二人の四人であるが、よく日曜・祭日には、本件「椿の道」を通つて宝ケ池へ散歩に出掛けていた。

(四) 原告吉村安弘の家族は、夫婦と子供一人、母の四人である。同原告は、健康増進のために週二回位ジヨギングをしていたが、そのコースは、自宅から長代川西側沿いに宝ケ池通りに出て、宝ケ池隧道の入口方面へ向かい、本件「椿の道」を通つて宝ケ池を一~二周して、再び「椿の道」に戻つてきて、二つの山の間にあつた草原のベンチで休息したあと、自宅へ戻つていた。この「椿の道」のジヨギングコースは、車道から離れていて安全であり、地道のままなので、足に余分な負担もかからず、しかも比叡山の遠望のすばらしいコースであつた。また、「椿の道」は、同原告にとつて、お気に入りの散歩道であつた。同原告の子供も、よく「椿の道」を通つたり、二つの山の間の草原でラジコン遊びをしていた。

(五) 原告北野晋は、本件「椿の道」を四、五歳の頃から通つていた。中学生のときは、水鳥の生態観察に行くために、高校生のときは、通学のために毎日通つていた道である。同原告にとつて、「椿の道」は、忘れ難い歴史のある道であつた。

(六) 原告鈴木信乃の家族は、夫婦と子供一人の三人である。同原告は、平日には子供の散歩のために、休日には、家族や友人と一緒に「椿の道」を通つて宝ケ池公園に行つたり、「椿の道」の沿道にあつたベンチで休んだり、草原でバレーボールをしたこともある。

「椿の道」は、小さな子供にとつては、土を踏み締め、虫や蝶を追い掛け、雨上がりの新緑をながめたりすることのできる道であつたし、大人にとつても、日頃のストレスをいやしてくれる道であつた。

(七) 原告西川寛は、散歩や宝ケ池へ行くために月に一~二回は本件市道を利用していた。

(八) 原告高田恒重は、孫を本件市道で日光浴させるために、月に二~三回は利用していた。

(九) 原告西川榮一は、散歩や宝ケ池へ行くために週に一回位は本件市道を利用していた。

(一〇) 原告池内弘は、子供をつれて散歩したり、遊んだりするために本件市道を月に二~三回は利用していた。

(一一) 原告横山秀利は、散歩やジヨギングなどのために本件市道を月に一回位利用していた。

(一二) 原告津村昌也は、散歩や子供の日光浴のために本件市道を週に一~二回は利用していた。

(一三) 原告渡辺昭義は、子供との散歩やジヨギングのために週に一回位は本件市道を利用していた。

(一四) 原告林芙美代は、散歩のため月に一回位は本件市道を利用していた。

(一五) 原告保司伊三美は、散歩のために月二回位は本件市道を利用していた。

(一六) 原告益川明子は、散歩のため月に二回位は本件市道を利用していた。

(一七) 原告荒川重勝は、一人で又は家族とのサイクリングのため月に一回位は本件市道を利用していた。

(一八) 原告高石清文は、散歩のため月に一回位は本件市道を利用していた。

(一九) 原告鈴木哲也は、子供を自然に親しませ、安全な散歩をするために月二~三回は本件市道を利用していた。

(二〇) 原告鰺坂真は、散歩のため月に一回位は本件市道を利用していた。

3  本件の路線廃止、供用廃止処分は、次の点で違法であり、この違法性は重大で明白である。

(一) 右処分については、道路法一〇条一項の「一般交通の用に供する必要がなくなつた」との要件を欠いている。

(二) 右処分をするに当つて、関係者から、事情や意見の聴取を行なわず、必要な調査確認を行つていない。

4  よつて、原告らは、本件市道の路線廃止処分及び供用廃止処分について、主位的にはそれらの無効確認を、予備的にはそれらの取消しを求める。

二  被告の認否と主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実のうち、本件市道が宝ケ池公園内に位置し、無舗装で、沿線に椿が植えられていたこと、原告らの居住場所は認める。なお、本件市道の存する区域については、昭和五九年三月一日に都市公園区域から除外する旨の処分がされている。本件訴えにつき原告らが原告適格を有するとの主張は争う。

3  請求原因3の主張は争う。

4  道路の路線廃止処分、供用廃止処分について抗告訴訟を提起する適格を有する者は、その道路に接着した場所に居住する者、またはそれと同視しうる程度の利用関係を有する者に限られると解される。しかし、原告らは、そのような者ではないから、本件訴えは不適法である。

第三証拠〈省略〉

理由

一  本件処分

請求原因1のとおり、本件市道の路線廃止及び供用廃止の処分がされたことは、当事者間に争いがない。

二  原告らと本件市道との関係

成立に争いのない甲五ないし一〇号証及び一八号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲一一ないし一六号証、原告倉橋正一及び原告馬原郁各本人尋問の結果、並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足る証拠はない。

1  本件市道の位置、近辺道路の状況、都市公園(宝ケ池公園)の区域等は、別紙第二地図に記載のとおりである。右地図で、認定道路とは、道路法による道路、区画整理街路とは土地区画整理法による道路、園路とは都市公園法による都市公園宝ケ池公園内の公園施設である園路、国際会議場専用通路とは、財団法人国立京都会館が管理する通路であるが、同財団法人はこれを一般の交通の用に供しているものである。

2  本件市道は、都市公園法による都市公園である宝ケ池公園の公園区域内に存していた。本件市道は、舗装されてはなく、両側に椿の並木が植えられていたため、椿の道と呼ばれていた。その両側には草地もあり、自然に囲まれた好ましい散策路であつた。

被告は昭和五九年三月一日に、別紙第二地図に「公園変更(除籍)区域」として表示した区域を、都市公園区域から除外する処分をしたので、本件処分当時は、本件市道は都市公園区域内には存しないことになつていた。

3  原告らは肩書住所に居住している。その位置は、別紙第一地図に記載のとおりであり、本件市道とは、最も近い原告西川栄一で約一五〇メートル、最も遠い原告高石清文で約二五〇〇メートル離れている。

4  原告らは、本件処分の直前においては、本件市道を次のように利用していた。

(一)  原告倉橋正一は、週に一回位、子供と一緒に、自転車や徒歩で、本件市道を通行し、宝ケ池公園内の子供の楽園に行つたり、公園内の自然を楽しんだりしていた。

(二)  原告岡本哲郎は、休日にはよく、家族と共に、本件市道を経て、宝ケ池公園を散歩していた。

(三)  原告鈴木信乃と原告鈴木哲也は夫婦であるが、月に二、三回、子供との散歩のため、本件市道を通行し、公園の自然を楽しんでいた。

(四)  原告吉村安弘は、週に二回位、ジヨギングのために本件市道を利用していた。

(五)  原告馬原郁は、昭和五五年三月に退職するまでは、年に三回ぐらい、勤務先の保育所の幼児を宝ケ池公園内で遊ばせるために、本件市道を通行していた。その後も同原告は本件市道付近に草摘みに行つたことがあつた。

(六)  原告北野晋は、昭和一〇年生れであるが、学生のころ、通学などのためによく通つていたので、その後もこれを大変懐かしい道と思つて来た。

三  原告適格

行政処分の取消し、無効確認の訴えの原告適格は、その処分の法的効果として、自己の権利や法律上保護された利益を侵害され、または、必然的に侵害されるおそれのある者に限り、これを有する。これらの権利や利益は、その処分がその本来的効果として制限を加える権利や利益に限られるものではなく、行政法規が明文の規定またはその法規の合理的解釈によつて、個人の権利や利益を保護することを目的として行政権の行使に制約を課していることにより保障された権利や利益をも含むものと解される(最高裁昭和五七年(行ツ)第一四九号同六〇年一二月一七日第三小法廷判決・判例時報一一七九号五六頁)。

道路法により道路の路線が認定され、供用が開始されると、その道路は公共用物となり、近隣住民のみならず、何人も、その道路の用途に従つてこれを自由に使用することができることになる。道路法一〇条一項も、「一般交通の用に供する必要」を、路線を廃止するかどうかの要件として定めている。このことからすると、道路を利用する利益は、国民一般の利益であつて、これが道路の路線廃止、供用廃止処分を争う原告適格を直接に基礎づけるものではない。しかしながら、住居又は所有地がその道路に近接しているなどにより、その道路の利用が生活上不可欠である者に限つては、例外的に、その道路を廃止する処分を争う原告適格を有すると解すべきである。

これを本件についてみると、原告らの住居は、本件市道とは、最も近い原告西川栄一でさえ約一五〇メートル、最も遠い原告高石清文に至つては約二五〇〇メートルも離れているのであつて、そのほかに原告らが本件市道の近隣に土地を所有するとか、生活の基礎となる営業所を有しているとかの立証もない。

原告らの本件市道の利用方法は、前記二4認定や原告ら主張のとおり、週二回ないし月一回程度の間隔で、本件市道を散歩、ジヨギング、サイクリング、日光浴や、子供を遊ばせ、友人と語り合い、宝ケ池公園内への子供の楽園への通行等のために利用して来たというものである。

しかしながら、前記二1認定の事実によれば、原告らは本件市道を利用できなくとも、他の道路により子供の楽園に至ることができ、あるいは、宝ケ池公園を利用することができることは明らかである。また、通行以外の方法による道路の利用が道路を廃止する行政処分の取消し、無効確認を求める訴えの原告適格を基礎づけるものとは解されない。

このような点を考慮すると、原告らは、その住居、所有地等が本件市道に近接しているなどにより、本件市道の利用が生活上不可欠である者とは認められないから、本件市道の路線廃止処分、供用廃止処分の取消し、無効確認の訴えの原告適格を有しないというべきである。

なお、道路供用廃止処分の取消し又は無効確認を求める訴えについて原告適格を認めた裁判例(東京高昭和三四年(ネ)第二六七八号同三六年三月一五日判決・行裁集一二巻三号六〇四頁、民事上の保護を認めた例として、最高昭和三五年(オ)第六七六号同三九年一月一六日第一小法廷判決・民集一八巻一号一頁、東京高昭和五三年(ネ)第二八九八号同五六年五月二〇日判決・判例タイムズ四五三号九三頁・判例時報一〇〇六号四〇頁、東京地昭和五七年(ワ)第一一九三二号同五七年一月二九日判決・下民集三三巻一号六九頁)は、原告が道路に接して住居を有していた事案であるから、前記のような事実関係にある本件においては、これらを参考とすることができない(市道の路線廃止処分につき原告適格を否定したものとして、水戸地昭和五三年(行ウ)第一〇号同五八年四月一四日判決・判例タイムズ五〇三号一二七頁、里道の用途廃止処分につき原告適格を否定したものとして、松山地昭和五〇年(行ウ)第一号同五三年五月三〇日判決・行裁集二九巻五号一〇九五号、その控訴審高松高昭和五三年(行コ)第五号同五四年八月三〇日判決・行裁集三〇巻八号一四四四頁)。

四  結論

以上判断のとおり、本件市道の路線廃止、供用廃止処分の取消し、無効確認を求めるにつき、原告らは法律上の利益を有しないから、本件訴えを却下することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 井関正裕 武田多喜子 長久保尚善)

別紙第一、二地図〈省略〉

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